青春のドラマ

ふとしたきっかけから「ふぞろいの林檎たち」のDVDを観た。

自分にとって「青春のドラマ」というものがあるとすれば、これがそれだ。

大学時代か就職してすぐの頃に熱心にTV放送を見た記憶があるのだが、Wikipediaで確認したところ、1983年の放送らしい。ちょうど私が20歳の時だ。

「肩書きや(大学・会社の)ブランドに頼らず、自分として勝負する」という登場人物の主張に共感したのを覚えている。だから、このドラマが好きだった。

20数年ぶりに観て。
懐かしさも勿論あるが、「こんなにエッチだったんだ」と驚いた。特に最初の方(視聴者をつかむためだろうか)。
そして、手塚理美ってこんなに可愛かったんだ、とこれまた驚いた(笑)。
そんな驚きは別にしても見る価値のあるいいドラマだと思う。

今回Wikipediaで調べてみて、続編が「Ⅱ」~「Ⅳ」まであることを知った。「Ⅱ」は間違いなく見たのだが、それ以降は記憶にない。たぶんそれほどの作品ではなかったんだろう。

「Ⅱ」はレンタル店にあったので、暇ができたら借りて来ようと思う。

とにかく最近忙しい。

| | コメント (38) | トラックバック (1)

こんな現代っ子に だれがした

(「雨にもあてず」という結構有名なパロディがあるのは知っていた。特に検索したりすることもなかったが、先日たまたまネットで目にしたので、保存も兼ねて掲載する。)

「雨にもあてず」

雨にもあてず 風にもあてず
雪にも 夏の暑さにもあてず
ぶよぶよの体に だくさん着こみ
意欲もなく 体力もなく
いつもぶつぶつ 不満をいっている
毎日塾に追われ テレビに吸いついて 遊ばず
朝から あくびをし 集会があれば 貧血をおこし
あらゆることを 自分のためだけ考えてかえりみず
作業はぐずぐず 注意散漫すぐにあき そしてすぐ忘れ
りっぱな家の 自分の部屋にとじこもっていて
東に病人あれば 医者が悪いといい
西に疲れた母あれば 養老院に行けといい
南に死にそうな人あれば 寿命だといい
北にけんかや訴訟(裁判)があれば ながめてかかわらず
日照りのときは 冷房をつけ
みんなに 勉強勉強といわれ
叱られもせず こわいものもしらず
こんな現代っ子に だれがした

Rimg0025

「だれがした」の答えは当然「大人」だが、もっと具体的に言えば何だろう。
社会だろうか? 教育行政や学校だろうか?

私なら「親」と即答する。
自分の子供に責任を持たずして、どうして親と言えようか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

1月に読んだ本

■『ラッシュライフ』(伊坂幸太郎)
■『チルドレン』(伊坂幸太郎)
連続して伊坂幸太郎を読んだが、これは年末に読んだ『死神の精度』が非常に良かったため(つまり3冊連続で伊坂幸太郎の作品を読んでいる)。これと比べると上記の2冊は見劣りする。

以下『ラッシュライフ』からいくつか引用。

「君が卒業間近に言った言葉を思い出したよ」佐々岡は声を高くして、言った。「『オリジナルな生き方なんてできるわけがない』私にそう言った」
「そうだったか?」
「世の中にはルートばかりが溢れている、とね。そう言ったよ。人生という道には、標識と地図ばかりがあるのだ、と。道をはずれるための道まである。森に入っても標識は立っている。自分を見詰め直すために旅に出るのであれば、そのための本だってある。浮浪者になるためのルートだって用意されている」

「人生に抵抗するのはやめた。世の中には大きな流れがあって、それに逆らっても結局のところ押し流されてしまうものなんだ。巨大な力で生かされていることを理解すれば怖いものなどない。逃げることも必要ない。俺たちは自分の意志と選択で生きていると思っていても、実際は『生かされている』んだ。」

金や地位を重んじる現実的な女は、人を信頼して裏切られる真面目な男よりは、よほどしっかりしているはずだ。地面の上に立っているかどうかも疑わしい男よりも、履いている靴がどこのブランドであるかを気にするOLのほうが、よほど頑丈だ。

「行き詰まっているとおまえが思い込んでいただけだよ。人ってのはみんなそうだな。例えば、砂漠に白線を引いて、その上を一歩も踏み外さないように怯えて歩いているだけなんだ。周りは砂漠だぜ、縦横無尽に歩けるのに、ラインを踏み外したら死んでしまうと勝手に思い込んでいる」

■『星々の舟』(村山由佳)
村山由佳の作品をちゃんと読むのは初めて。これまでは雑誌の数ページの連載小説を読んだりしただけ。
読み始めて最初に思ったのは「宮本輝に似ている」ということ。宮本輝は20年くらい読んでないのだが、どういうわけかそういう印象を覚えた。文章(の雰囲気)が似ているのか。
何にしても良い小説だった。1月にして「今年の一番」を手にしてしまったのかも知れない。今年これ以上の書物に出会えたら、それはとんでもない幸運と言っていいだろう。

■『悪の対話術』(福田和也)
ネットで高い評価を受けていたので何件も書店を回ってやっと手に入れたのだが、つまらない。途中放棄。

■『対話篇』(金城一紀)
「恋愛小説」「永遠の円環」「花」の微妙につながりのある3話が収められている。
20代で読めば、かなりお気に入りの1冊になり得ただろう。今の私にはちょっとばかし「軽い」。罪のない時間潰しには最適だったが。
「花」がよかった。国道1号線・2号線・3号線を走っての東京から鹿児島までのドライブは私もやってみたくなった。高速を行くよりずっと楽しそうだ。

その「花」より。

ある日、恵子さんが、うっかりしてお皿を割った。その五分後には口論が始まっていた。なぜそうなってしまったのか、ふたりには分からなかったけれど、ふたりは無意識に衝突を欲していたのだ。それがどこに行き着くものであれ、とにかく、きしんだ音を立てながら続く毎日に変化を臨んだのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

欠如によって

Rimg0063

『人間は判断力の欠如によって結婚し、
 忍耐力の欠如によって離婚し、
 記憶力の欠如によって再婚する。』
(アルマン・サラクルー)

今年出会った一番の名言(迷言?)。
おもしろいよ、これは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大人と子供

(11月の学年集会での生徒へのメッセージ)

 2年生の諸君……君たちのほとんどが毎日楽しく学校生活を送っている。君たちの学校生活に関わる者としてたいへん喜ばしいことだと思っている。
 ただ、卒業までこのままでいいのだろうかと言うと、「?」をつけざるを得ない。

 君たちは「子供」だろうか、「大人」だろうか。
 少なくとも卒業までには……社会に出るまでには「大人」になってもらいたいと思う。
 「子供」と「大人」の違いは何か。
 私は、「やりたいことをやる」のが「子供」、「やるべきことをやる」のが「大人」だと考えている。
 現在、君たちのほとんどは「やりたいことをやる」すなわち「子供」だ。だが、今後は「大人」になってもらいたい。つまり、「やるべきことをやる」人間になってほしい。
 君たちが今やるべきこと、それは自分の進路希望を実現させること、そのために努力すること、だ。君たちの未来はまだ決まっていないのだから、そのこと以上に優先すべきことなど存在しない。その「やるべきことをやる」ことで、今までとは別の「楽しみ」を学校生活に見つけてもらいたい。
 君たちの今の楽しみ……「好きなことをやる」「友人と遊ぶ」「ゲームをする」etc……はいずれも楽しいことだろう。
 だが、「目標に向かって努力する」という楽しみも知ってほしい。それは自分の未来を、自分の人生を決めることに他ならない。それ以上の楽しみなどあるだろうか。
 その「最高の楽しみ」を発見して、君たちが瞳を一層輝かせて残りの高校生活を送ってくれることを期待する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

生きることは愛すること

「100万年も しなない ねこが いました。
100万回も しんで、100万回も 生きたのです。」

Rimg0138

『100万回生きたねこ』(佐野洋子 作・絵)。

出版30年ということで、書店にコーナーが設けられていた。
これを機にこの本を手にする人が増えることだろう。
手にするのは新しい読者ばかりではない。
昔読んで忘れていたのを改めて……という人も多いだろう。
私のように。

Rimg0140

「あるとき、ねこは 小さな 女の子の ねこでした。ねこは、子どもなんか だいきらいでした。」

同様に、ねこは、あるときは王さまに、またあるときは船のりに……多くの飼い主に愛されるが、どの飼い主のことも「だいきらい」だった。
ねこが好きだったのは自分だけ。

そんなねこは、あるとき「白い うつくしい ねこ」に出会う。

Rimg0141

その白いねこを愛し、子どもたちにも恵まれたねこは、やがて訪れた白いねこの死に号泣する。
そして、白いねこの隣で動かなくなった「ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。」

Rimg0143

ねこはどうして生きかえらなかったのだろう。

その答えは、それまでの「100万回の生」と「最後の生」はどこが違うのかを考えることでわかる。

「100万回の生」でねこは愛されても愛することはなかった。
「最後の生」でねこは白いねこを(そして子どもたちを)愛した。

「愛する」という行為の有無、これが決定的な違いだ。

そして、死ぬためには生きなければいけない。
「100万回の生」をねこは生きていなかった。だから死ねなかった。

だが、「愛する」ことを知った「最後の生」だけは、ねこは生きた。生きたから死ぬことができた。

つまり、「生きるとは愛すること」「愛することは生きること」……それがこの絵本のテーマなのだと思う。

だから、愛することを教えてくれた大切な人にプレゼントしたら素敵なんじゃないかな、なんてことを考えたりする。相手がどんなふうに読み取ってくれるかはわからないが……。

Rimg0142

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夏の思い出

息子はとにかくマンガが好き。
朝起きれば顔を洗う前にマンガを開き、夜も電気を消す直前までマンガの本から目を離さない。
休みの日などは、大袈裟じゃなく8時間くらいマンガを読んでいる(^_^;)
そんな息子の愛読誌は「コロコロ」。
この夏、その愛読誌主催の「コロツアー」なるイベント(全国縦断キャラバン)があった。
郡山も会場になっており、息子も参加、非常に楽しんできたようだ。

そして、先日。
何気なく「コロコロ」のサイトを見ていたら……

何と息子の写真が!!

Photo

右端一番手前の赤いシャツが息子。

見つけたときはビックリして家族で大騒ぎ(^_^)
小学校初めての夏休みのいい思い出になった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

読書記録

■『模倣犯』(宮部みゆき)
夏休みだし、普段は読めない長編でも読んでみよう……そう思って手にしてみた。
第2部はちょっと退屈。
だが、第3部はおもしろかった。止めるに止められず夜中の3時くらいまで読んでしまった。徹夜するのはさすがにきついだろうと思ってそこで止めたのだが、独身で時間が自由になる頃だったら、最後まで一気に読んでしまったかも知れない(おそらく6時くらいには読み終えただろう)。
途中で止められない……『パラサイト・イヴ』(瀬名秀明)を読んだときもそうだった。アパートで一人布団に入って、真ん中くらいから最後まで一気に読んだ記憶がある。そんなことが出来たのだから、まだ独身だった頃なのだろう…。
読了まで15~20時間は費やしていると思うが、それだけの価値はあった。

■『兎の眼』(灰谷健次郎)
恥ずかしながら、初めて読んだ。
教員(特に小学校)には必読の書として紹介されているのを何度となく目にして、教員をやる以上は読まねばなるまいと考えていたのだが、読もうとして本屋を探すとちょうど置いてなかったりするなど、「縁がない」一冊であった。
確かに悪い話ではない。
ただ、「古い」と感じてしまった。
背景となる時代が、ではない。時代が変わっても人間の心はそう変わるものではないから。
私が「古い」と感じたのは、この本が出版されてからの30年間でこれを超える物語がいつくも出版されている、ということだ。より高い山を知ってしまったら、低い山が物足りなくなるようなもの。この程度の感動本はいくらでも転がっている。それが現代だ。

■『バッテリー』(あさのあつこ)
少年少女が主人公の物語には感情移入するのが難しくなってきた。
彼らが知り得ない感情を知りや持ち得ない体験を持った身としては、彼らが主人公の物語は物足りなさが残る。
それでもこの作品は結構気に入った。
主人公の少年が魅力的だから。決して「正しく」「真っ直ぐな」少年ではない。若者特有の生意気さが前面に出ていて、実生活ではあまり接したくないタイプだが、「若さ」「青さ」が感じられていい。
ただ、続編も刊行されているようだが、それまで読もうとは思わない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

蛇行する知恵

Rimg0170

俵万智「トリアングル」を読んだ。

主人公の独身女性が、若い独身男性と年上の妻子ある男性との二つの恋愛を経験し、結局妻子ある男性の子供を産むことを決心する、という話である。
実際作者の俵万智自身がシングルマザーとなっており、どの程度「私小説」であるのかという興味を抱いたが、正直言ってそうたいした小説とは思えなかった。暇つぶしに読むなら悪くはないのだが、出会いに感謝したくなるほどの小説ではない。

だが、次の箇所は非常に印象に残った。この部分との出会いは感謝したいと思う。

 釧路川は、蛇行する川の代表選手。その姿を初めて写真で見たのは、たしか小学校の地理の教科書でだった。水でできた蛇が、巨大なS字をつなげたかっこうで、湿原を這っている。
「この蛇行に意味があるんです。一見、無駄な寄り道をしているようですが、とんでもない。蛇行のおかげで、湿原の隅々にまで、水が配られているんですから」
 湿原を研究して三十年という湿原博士は、力をこめて言う。
「人間がやってきたことは、A地点からB地点への最短距離を、直線で結ぶようなことばかりですな。自然は、蛇行するという知恵を持っています」

確かに人間がやってきたこと・目指したことは「最短距離を、直線で結ぶ」ことばかりだ。
目的達成のために、無駄(と思える)ことを排除し、合目的的であることを良しとしてきた。

その結果はどうなったか。

蛇行という「無駄」を排除して最短距離を求める社会は忙しくなるばかり。
忙しさは「心を亡くす」。他人を思いやる余裕はなくなり、他人の痛みに鈍感になる。
まだ社会に「蛇行」があった頃、人と人の間に存在していた「水」、人々の心の中にあった「水」は消えようとしている。
潤いのない社会が住みやすい場所であるはずがない。

それでも最短距離で進もうとしている目的地が「幸せな社会」であると信じられるならまだいいのかも知れない。
だが、目的地が「金儲け」であったことはもはや誰の目にも明らかだ。
金儲けと幸せは違う。
儲けた金をいくら使っても失われた「水」を買うことはできまい。

「心の水」はもう戻らない。
それと引き換えに「直線の社会」は一体何を生み出したのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

ケータイで買い物

3月末に携帯電話を替えた。
その際の選択基準のひとつは「おさいふケータイ」であること。
ケータイで買い物をする、というのを是非ともやってみたかったのだ。

最大の問題は家の周りに電子マネーが使える店がないこと。
ネットで調べてみたら30km圏内に数店あるにはあった。
だが、いずれも支払いのみでチャージは出来ない。つまり使用出来ない(涙)。

使えないとなれば、なおさら使いたくなるのが人間の性。
そんなときセブンイレブンでnanacoがスタート。店頭でチャージもできるし、利用するとポイントも付くからお得。しかも、セブンイレブンは私が最も利用するコンビニだ。
ようやく使うことが出来るか、と期待した。

だが、nanacoはSoftbankの携帯電話には未対応。
どこまで縁がないんだ、と苦笑するしかなかった。

しかし、ようやく「拾う神」が現われた。
7月10日からファミリーマートでEdyが使用可能になる。しかも、チャージも可能。
そのニュースを聞き知った私は、携帯電話のEdyの初期設定を済ませて当日を待った。

そして、当日。
仕事の帰りにファミマに寄り、2000円をチャージ。飲み物代をEdyで支払った。
「Edyでお願いします」というのが照れくさかった。
ちなみに、その店でEdyを利用したのは私が第1号とのこと。夕方なのに…。さすが田舎だ。

Rimg0038edy

その後も何度かケータイで支払っているが。
財布から小銭を出し、おつりを受け取ってそれをしまって……という作業が必要ないのは便利といえば便利。それは認める。
だが、別のことに面倒を感じている。いちいち「Edyで」と言わなくてはならないことだ。現金払いなら無言でお金を渡せば済むのに……。

たったひと言を言うのを面倒に感じる……。
買い物は私にとって「無言の作業」になっていたのだ。
子供の頃の、駄菓子屋でお金とともに言葉もやりとりしていた、そんな買い物はいつの間にか遠いものになっていた。
そんなことを思い知らされた。

そんな感慨とは無関係に、おそらくEdyは間もなく使わなくなるだろう。
物珍しいから使ってみたかっただけ。必要性を感じていたわけでも何でもないから。

だが、nanacoが自分のSoftBank携帯でも使えるようになれば、大いに使うだろう。
サービスポイントは欲しいから(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

«アンケート回答