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自分を映す鏡

 ポール・デルヴォー「夜汽車」。

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 写真は「迷子大好き by風待ち」(http://kazemachi7.exblog.jp/)から転用させていただいた。

 この絵を見て私はこんなことを思った。

 この少女は「どこかへ行きたい。でも行けない」……そう思いながら夜汽車を見送っているのではないか。
 逃避したい現実。夜汽車に乗ってどこかへ行きたい……。でも、行けないことはわかっている。少女は、夜汽車に乗るためにここに来たのではない。夜汽車に乗って知らない土地へ向かう自分を想像するために来たのだ。
 少女が抱える現実が何なのか、夜汽車に乗ることをためらわせるものが何なのか……それはわからない。
 ただ、少女は想像の中でしか現実から逃れられないことを知っている。
 もしかすると、夜汽車に乗る自分を想像するのは、せめて想像の中では自由になりたいからではなく、「この現実の中で生きていくしかないんだ」と自分を納得させるためなのかもしれない。

 そんなことを考えた。

          ***

 絵画は何も語らない。見る人がそこから聞き取るのだ。
 つまり、その解釈には見る人の「心」が反映される。
 そうすると、上の解釈は私の心ということになるが……当たってるな(苦笑)。
 絵画は「自分を映す鏡」だ。

 絵画だけではない。
 全てのものが「自分を映す鏡」なのだ。自分から語るものなどこの世にはないのだから。

          ***

 さて、今回私が書きたいのは、自分を映す鏡としての他者、ということだ。
 「他者は自分を映す鏡」……言い古された言葉だが、他者が最も「鏡」たり得るのはどんな場面だろうか。
 それは初対面の場面ではないか。
 相手について何も知らない。だから、自分を投影するしかない。

 この歳になるとさすがにいくらかは薄らいできたが、私は非常に人見知りしてしまう性質であった(まだ過去形で言うには早いが)。初めての人と会うのが億劫で仕方なかった。なぜだろう、と考えたことはなかった。そういう性格だから、で納得していた。
 だが、今ならわかる。なぜ、私が人見知りしてしまうのか。

 私は、相手にどう思われるかを気にしていたのだ。恐れていたのだ。
 どう思われるか……もちろん高く評価されるなら、恐れることはない。
 恐れるのは低く評価されることだ。
 そして、相手が自分を低く評価することを恐れるというのは、自分が相手を低く見ようとしていることに他ならない。

 他者は自分を映す鏡。

 そうだ。
 たいした能力もないのにプライドだけは高かった私は、相手を下に見ようとしていたし、相手に下に見られることを恐れていた。確かに。
 自分なんてたいした人間じゃないんだから下に見られたっていいじゃん、と多少の開き直りができるようになったのは馬齢を重ねたおかげだろうか。歳をとると生きるのが楽になる。喜ぶべきことなのか、悲しむべきことなのか。

 私とは別に、世の中には初対面の人と会うのを苦にしない人もいる。そういう人たちは、他者を受け入れることができる人たちなのだろう。 自分がそうだから、相手も自分を受け入れてくれると信じられる。だから、初めての人と会うのが苦にならない。
 うらやましいな、と思ってきた。いや、いまこそそう思う。
 初めての人と会うことを苦にしない、つまり他者を受け入れることができる「心の広さ」。それが私にあったら、と思うと少し寂しい。「心の広さ」は「世界の広さ」だから。

          ***

 12月9日(土)、初雪が降った。
 雪が降ると、冬なんだなと実感する。どんなに寒くても雪が降らないうちはまだ秋の延長のような感覚がある。

 コタツ。ファンヒーター。ストーブ。
 様々な暖房機の出番だ。
 だが、暖房では温めきれない部分がある。他者によってしか温められない場所が、人間にはある。
 今年の冬は妙にそんなことを感じる。「狭い心」で「狭い世界」を生きてきた結果だろうか。

 冬の夜はやはり熱燗。……温めることはできなくても、忘れることはできるかな。

 (2006/12/12)

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