大人と子供

(11月の学年集会での生徒へのメッセージ)

 2年生の諸君……君たちのほとんどが毎日楽しく学校生活を送っている。君たちの学校生活に関わる者としてたいへん喜ばしいことだと思っている。
 ただ、卒業までこのままでいいのだろうかと言うと、「?」をつけざるを得ない。

 君たちは「子供」だろうか、「大人」だろうか。
 少なくとも卒業までには……社会に出るまでには「大人」になってもらいたいと思う。
 「子供」と「大人」の違いは何か。
 私は、「やりたいことをやる」のが「子供」、「やるべきことをやる」のが「大人」だと考えている。
 現在、君たちのほとんどは「やりたいことをやる」すなわち「子供」だ。だが、今後は「大人」になってもらいたい。つまり、「やるべきことをやる」人間になってほしい。
 君たちが今やるべきこと、それは自分の進路希望を実現させること、そのために努力すること、だ。君たちの未来はまだ決まっていないのだから、そのこと以上に優先すべきことなど存在しない。その「やるべきことをやる」ことで、今までとは別の「楽しみ」を学校生活に見つけてもらいたい。
 君たちの今の楽しみ……「好きなことをやる」「友人と遊ぶ」「ゲームをする」etc……はいずれも楽しいことだろう。
 だが、「目標に向かって努力する」という楽しみも知ってほしい。それは自分の未来を、自分の人生を決めることに他ならない。それ以上の楽しみなどあるだろうか。
 その「最高の楽しみ」を発見して、君たちが瞳を一層輝かせて残りの高校生活を送ってくれることを期待する。

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9分の1終了

学年通信第2号に学年主任よりということで書いた文章。
 
◆生徒諸君へ
 君たちが高校に入学してから3ヶ月が経ち、本日第1学期の終業式を迎えました。この期間たいした問題もなく過ごせたのは君たちに新入生としての緊張感があったからでしょう。ただ、その緊張感はもうなくなりつつあります。代わりにこれからの君たちを律するもの、それはA高生としての自覚でしょう。
 A高生としての自覚……それはA高生とはどうあるべきか、A高校がどんな学校であって欲しいか、そのために自分がどうすればいいか、ということです。それを絶えず問い続けてください。そうすれば学校は必ずよくなります。よい学校であれば生徒の君たちも充実した生活を送ることができます。
 振り返った時間に目を向ければ……すでに高校生活の9分の1が終わったという言い方もできます。この期間を無駄に過ごした人は、これからどんなに頑張っても、入学から努力した場合と比べて9分の8の地点にまでしか行くことができない、ということです。
 君たちの夢はどのくらい遠くにありますか。9分の8で到達できるものですか。あるいは、9分の1や2で到達できるものだとして、そんな夢を実現して嬉しいものでしょうか。
 時間はあっという間に過ぎ去ってしまいます。そして決して取り戻すことはできません。
 自分の夢を実現するために無駄にできる時間は、まだ君たちにありますか。

◆保護者の皆様へ
 高校は中学時代までと違ってだいぶ「自由」です。それは中学生と比べて大人になったからという信頼と、高校卒業後社会人として自律するための練習期間という意味あいがあります。
 家庭においても少し手綱をゆるめてお子さんの自主性を尊重する……自分で考え、判断し、行動する……ようにしてください。ただ、まだまだ子どもです。誘惑に負けてしまいそうな様子が見えたら、また手綱を引いて正しい方向へ戻してください。高校時代とはそんな期間だと思います。
 高校1年の夏休みとは、子どもが大きく変化する時期です。その変化は残念ながら良い方向とばかりは限りません。輝いた瞳のまま2学期を迎えられるよう、保護者の皆様のご協力をお願いします。

 (2006/07/22)

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学級通信第3号の詩

あの子にはお父さんがいない。
だからかわいそう…そう思っていた。
でも、あの子にはお姉さんと弟がいる。
私はひとりっ子。兄弟ゲンカをしたことがない

別の友だちは勉強ができる。
私は負けてばかりだ。
でも、その子は泳げない。
プールのある日は憂鬱そうにため息ばかりついている。
私はプール大好きなのにな…。

そうなんだ。
みんな何かが欠けていて、
でも、みんな何かを持っている。

だから、
誰かに同情したり、うらやんだり
自分を誇示したり、卑下したり
そんなのホントはいらないことなんだ。

私は私。それでいい。

ところで、あなたは……

     ■ ■ ■ ■ ■

 書き出しの「あの子にはお父さんがいない」は書き改めようかどうしようかずいぶん迷った。
 我がクラスにも数名片親の生徒がいるからだ。
 彼らを傷つけることになるのではないか、との逡巡があった。

 でも、結局はこれでいくことにした。
 そういう子供たちにこそ伝えたいと思ったから。別に両親が揃っていないことで自分を卑下する必要はないんだよ、と。
 また、他の子供たちにも「親がいない子供はかわいそう」といった世間の「常識的」な目で見て欲しくなかったから。

 自分なりに考え抜いての決断ではあるが……。
 それでもいまだに「先生のあの詩に傷ついた」と思われていないか気になる。

 (2006/07/09)

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学級通信第2号の詩

胸に手を当てて考えてみろ、そんなことを言われた日
布団に横になって何となく胸に手をやった
トクン、トクン……心臓の鼓動を感じた

私がサボっているときも、
ちょっと悪いことをしているときも、
ずっとずっと動いていてたんだね、こんな私を生かすために……

一生懸命生きてみようと思った
そして
私も誰かの心臓になれたらいいなと思った

ところで、あなたは……

 (2006/07/06)

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学級通信第1号の詩

 今年は学級通信を月1回発行することを自己目標とした。たぶん何だかんだと理由をつけて発行しない月もあるだろうから、年間では8回くらい発行することになるかな、と思っている。
 現在までのところ3回出すことができた。

 今年の学級通信では、生徒へのメッセージとして巻頭に自作のショートポエム(?)を載せている。せっかく作ったものなので、保存も兼ねてここにも記しておこうと思う。

 今回は第1号に載せた詩。
 ちなみに学級通信の名前は「Tomorrow」である。

     ■ ■ ■ ■ ■

明日は「明るい日」と書きます
明るい日は、明るい顔をしている人のところにやってきます
明るい顔をしているのは
希望を持って今日を精一杯頑張っている人です

ところで、あなたは……

 (2006/07/05)

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てん

 「性に関する講演会」の生徒感想を読んでいたら……

「……次にSEXするときにはコンドームをつけることを気をつけたい……」

 えっ? なにっ!!
 こいつもう経験済みなの!? あんな無邪気そうな女の子なのに!? (まだ高校生になったばかりだから)ということは中学のうちに!!!

 もう北朝鮮がミサイルを発射したくらいに焦った。経験済み云々以前に、そういうことを平気で明らかにしてしまう神経に。
 もうまともに顔を見られないよ……

 でも、

 よく見ると

「次に、SEXするときには…」と「次に」の後ろに読点(とうてん)が打ってあった。

 そうか!

“講演を聴いて気づいたことは、まず、Aということ。次に、Bということ(コンドームをつけること)”って流れだったのか。

 ふ~~~、ひと安心(^_^;)

 それにしても、読点の大事さを痛感。
 「お父さんは仕事に行っていない」と「お父さんは仕事に行って、いない」じゃ、家庭環境は天と地の差があるもんね。

「、読(てんとう)すると句○(くまる)」(転倒すると困る)=読点は「、」句点は「。」

 読点に注意して文章を書こう、と。

 (2006/07/01)

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評価

 テストを返却するとき、必ず生徒たちに言う言葉がある。
「点数が変わる人は、上がる人はもちろん、下がる人も持ってきてくださいね。」

 1ヶ月ほど前の中間考査では、点数が下がることを申し出た正直な生徒が数名いた。
 嬉しいことだ。

 以前の同僚に「点数が実際より良く付けられているのは先生のミスだから(生徒に責任はないので)そのままでいい」と言っている人がいた。
 しかし、それは間違っていると私は思う。

 評価に対しての意識の違いなのだろうか。
 人間(教員)が人間(生徒)に点数を付けるというのはやはり不遜な行為である、という思いが私にはある。たとえそれが単なるテストの点数に過ぎないとしても。
 しかし、職業上あるいは立場上評価を行わなければいけない。
 であるならば、評価に際しては出来る限り「誠実」であること、それが教員の義務であると思うのだ。

 では、「誠実」な評価とは……。

 それは決して「良く」「甘く」点を付けることではない。もちろん「厳しく」「辛く」付けることでも。
 「誠実」な評価とは、その生徒の学力を可能な限り「正確」に評価してやることだと思う。
 できるなら良い評価、できないなら悪い評価になるのは当然のこと。過大評価も過小評価も、その生徒のチカラを正当に評価していないという点では、「いい加減」な評価なのだ。
 「いい加減」な評価が相手を侮辱する行為であることは言うまでもないだろう。
 過大でも過小でもなく「正確」に評価すること……それが人間が人間を評価するという不遜な行為に際して教員に課された義務だと思う。

 だから、私は点数が下がる場合も申告させるのである。(もちろん、それ以前に採点ミスがないように気をつけるのは言うまでもない。私は採点ミスはかなり少ない方だと自負している。)

 ついでに言えば、高校時代、私も自分から点数が下がることを申し出たことが数回あった。間違いで良い点数をもらっても「得した」と素直には喜べなかったから。

 そう言えば、買い物をしておつりが多いときも必ず返してしまう。
 これも性格なのだろうか。

 (2006/06/22)

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下着じゃない!?

 午後から結核検診。
 朝のSHRで検査時の服装と着替えについて説明した。
 保健室から渡されたプリントには「ブラジャー」となっていたのだが、朝からそんな言葉を言うのもなんだし(この歳になっても照れくさい)、男子もいることなので、「下着」と言い換えて次のように話した。

「昼休みのうちに半袖運動着に着替えておいてください。授業中呼びに来たら、静かに検診バスまで行ってください。男子はそのままバスに入ってレントゲン撮影をします。女子はいったん保健室に入って、そこで下着を取って、それを袋に入れて、袋を持ったままバスに移動になります。袋はジャージを入れておく袋で構いません」
と(実際はこんなに丁寧な言葉遣いではないが)。

 すると、女子生徒の一角にざわめきが起こった。
 ブラジャーを取ることにびっくりしたのかな、と思ったのだが、どうもそうではないらしい。

 女子生徒「先生、いったい…どこの検査するんですか…」

 えっ……。
 ようやく理解できた。下着を取ると聞いて、パンツを脱ぐのだと勘違いしたのだ。彼女たちの頭の中では、ブラジャーはあくまでブラジャーであって、下着ではないらしい。
 こちらも変に気を回さずにブラジャーと言ってしまったほうがよかったのかもしれない。

 なんにしても、朝から笑えた出来事であった。

 (2006/04/29)

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学年通信他

 新1学年の学年主任をすることになったので、3月末から慌ただしい日々が続いている。
 4月10日(月)が入学式だったのだが、今週いっぱいは様々な行事があり、朝から帰りまで担任は出ずっぱりである。
 来週からは平常授業となる。少しは余裕ができることを期待したい。

 今回は、学年通信第1号と、保護者向けに学校の方針を知らせるための新聞(PTA新聞とはまた別である)に書いた文章を掲載しておく。

■学年通信
 本日この良き日に、本校への入学を許可されました新入生の皆さん、並びに保護者の皆様、ご入学おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
 さて、新入生の皆さん。
 「高校入学おめでとう」……この言葉を君たちは多くの人からいただいたことでしょう。君たちは胸を張ってその言葉を受ける資格があります。入試という試練を見事乗り越えたのですから。
 君たちに願うことは、3年後「卒業おめでとう」という言葉を、やはり同じように胸を張って受ける、その資格があるような高校生活を送ってほしい、ということです。毎日を怠惰に過ごしていても卒業の日はやってきます。この3年間に一体何をなしただろう……そんな虚しい思いを高校最後の日に感じてほしくはないのです。「高校の3年間でこれだけ成長することができた!」そんな自信と喜びに胸を張って学舎を旅立ってください。入学の今日は、それに向けてのスタートの日に他ならないのです。
 君たちのこれからの成長を願って、学年通信は「Advance(前進・進歩)」と名付けました。第1号では学年の先生方を紹介します。全員の先生が、諸君の「前進」のために全力を尽くす気持ちでいます。
 しかし、諸君の「前進」のために先生や学校ができることは実はそう多くはないのです。植物に例えれば、添え木や肥料のようなもの。大木に成長するために何より大切なのは、その木が持つ生命力、つまり成長しようとする力です。そう、君たちがどれだけ「前進」できるかは、ひとえに君たちの「意欲」にかかっているのです。待っているだけの人間に与えられるものは少ない。多くを得たいと願うなら、自分から動かなければならない……そのことを忘れないでください。
 さあ、力強い第1歩を踏み出しましょう! 私たちはいつでも君たちを見守っています。

■新聞
 一学年では「高校生としての基本的な学習と生活の習慣を身につける」を学年目標としました。いたずらに日々を過ごさないためには、そのような習慣の確立が必須であると考えるからです。
 西洋では、ある芸事を身につけるには五千時間必要だという説があるそうです。日本には「千日稽古」という言葉があります。一日五時間練習すれば、ちょうど千日で五千時間。洋の東西を問わず、何かを身につけるのに要する時間を同じと考えたのは、それが真実だからかもしれません。
 そして千日というのはちょうど高校入学から卒業までの日数です。そう考えると、高校時代に無為に過ごせる時間はないのだということに気がつくでしょう。少しずつでもいい、とにかく毎日前進すること……その積み重ねが目標に到達する唯一の道なのです。
 二百八十名の新入生には「(目標達成のために)無駄にできる時間はない」との自覚を持って毎日を送ってほしいと思います。また、私たち担任団も高校生活の一日一日が生徒たちに対して持つ重さを忘れずに指導にあたっていきたいと思います。保護者の皆様のご協力をよろしくお願いします。

 (2006/04/13)

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変化と成長

 夏休み初日!
 そうはいってもゆっくり休めるはずもなく、午前は課外準備と課外。午後は保護者対象講演会。夕方からは保護者との懇親会……と目一杯詰まった一日だった。

 懇親会で、あるお母さんが子供の大会の応援に行った感想を述べてくれた。

「シャイな息子が、大きな声を出すのを聞けた。それがうれしかった…」

 シャイなことは別に悪いことでもなんでもなく、一つの個性。それに、大きな声を出せることがいいことで、出せないことが悪いというわけでもない。

 それでも、このお母さんは嬉しかったのだ。

 なぜ?

 子供が変わったから、である。
 「変化」は「成長」だから。子供の成長を喜ばない親はいない。

 ある変化を「成長・進化」と見なすか「後退・退化」と見なすかは、それを判断する価値観の問題。「変化」なくして「成長」はないし、すべての「成長」は「変化」なのである。

「変化」は可能性の扉を開くこと。だから、生徒たちには「自分を変えること」をどんどんしてほしいと思う。
 新しいことにチャレンジする…
 話したことのない人と話をする…
 読んだことのない(ジャンルの)本を読んでみる…

 我がクラスの生徒たちは案外保守的。変化を好まず「今のままでいいや」って雰囲気が感じらる。現状が満足するものならそれはそれで喜ばしいことなのだろうけど、だけどやっぱり「変化」を求めてほしいな、と思う。

 高校時代は「成長」の時期なのだから。

 (2005/07/21)

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